8/1 (1)のup完了しました。 本当はモリコロに行くはずだったのですが こんな時になぜか人生初の腸炎にかかり 自宅でおかゆやうんどんを食べて過ごしております。 この無念を晴らすべく、お目もじ叶わなかった デニス・テン君の記事を訳すことにしましょう。 これは、今年4月に出たブイアノワ(旧姓:ヴォドレゾワ)コーチのインタビューです。とても長いので4回に分けて掲載しますが、後半に出てくるテン選手の部分を先に訳しました。ちょっと妙なUPの仕方になりますが、ご了承ください。 私の家は生徒立入禁止です こういう人物のことを、生まれながらのコーチと言うのだ。 エレーナ・ヴォドレゾワがこの仕事のことを本気で考え始めたのは、20年以上前のこと。関節リウマチという進行性の難病のため、競技から離れざるをえなくなった直後だ。だが、まず彼女は結婚し、苗字を変え、男の子を産んだ。その後リンクへ戻ってきたのだ。 彼女のキャリアは輝かしいものだった。ヴォドレゾワは、それまで「女子」の概念には全くなかった滑りを披露し、ソ連の女子選手として初めてヨーロッパ選手権の表彰台に登った。1983年の世界選手権では、祖国に初のメダルをもたらした。2度のオリンピックに出場し、1度目のインスブルック五輪のときは、まだ12歳だった。 同じように、ブイアノワコーチの教え子たちも、輝かしい国際舞台デビューを飾った。グルジアの16歳の女の子、エレーネ・ゲデバニシビリが2006年に。15歳のカザフスタンの男の子、デニス・テンは、まだ記憶に新しいロサンゼルスの世界選手権で。まったく「フィギュア国」ではない国の選手が、シニアの大会ですんなりと10位以内に入るというのは、決して(未だかつて)なかったことだ。 しかしながら、「決して」という単語は、ブイアノワの辞書から出た言葉ではないようだ。何かそぐわない…(※この段落はよく分かりませんでした) ロドニナとズーク お茶?それともコーヒー? エレーナはコーチの仕事にてんてこまいで、お湯を沸かしたり、何かの書類を広げたり、定期的に部屋を覗きに来る人たちの質問に答えながら、ちらちらと私のレコーダーを見ている。 録音ボタンを押すのはちょっと待ってください。いま座りますから。それからお話を始めましょう。 ― あなたは、すべてをやってのけるパワーとエネルギーをお持ちですね。その秘密は? 絶えず自分を乗り越え、押し上げているときは、人生のすべてが平穏になるものです。周りの人たちが自分の抱えている問題について話し始めても、私にとってそれはほとんど問題ではないということが分かります。私の年齢の女性がふつう考えていることを、自分の場合は考えていないことに気づくことがよくあります。 ― それは、あなたがハードな競技生活を送ってきたことと関係がありますか? じゃあ、あなたは楽ちんだったの?それが楽なんてことがあるかしら? (※インタビュアーは飛び込み競技の元五輪金メダリスト。現役引退後ジャーナリストに転身) ― ええ、おそらく。その人が競技へ「引き返さない」なら。 そんな人がいるかしら?コーチは自分の仕事の根っからのファンでなくてはいけませんし、もし生徒が同じ目標を持って燃えてくれなければ、決して結果を出すことはできません。まだ小さい子だからこそ、壊すことも、何かをさせることもできるんです。15歳からではもう遅いのです。 ― あなた自身は、10歳を少し超えてからスタニスラフ・ズークのところでトレーニングを始めました。その年齢の子どもが理解できることは何でしょうか? 私は何も理解していませんでした。ただ雰囲気が好きだったんです。CSKA(軍中央スポーツクラブ)やスケーター仲間などの雰囲気が…休暇になると悩んでいました。何をすればいいのか全然わからなくて。生活(人生)の全てがリンクで行われていたのです。 ― しかもグループには、世界で最も厳しく、最も明確な目的意識を持つコーチのひとりがいました。当時のあなたは、ズークのコーチとしての偉大さ認識できていましたか? もちろん、できていませんでした。私にとって偉大だったのは、当時彼のところでトレーニングしていた、イリーナ・ロドニナ/アレクサンドル・ザイツェフでした。だいたい、最初はズークのところで滑りたくなかったんです。私が紹介してもらった時は、彼はペアスケーターとしかトレーニングしていませんでしたから。グループにはシングルスケーターが全くいなかったのです。両親から、スタニスラフ・アレクセーヴィチは私をペアにするつもりは無いと説明されて、やっと(※ズークの元へ行くことに)同意したのです。 それでも私は、ズークのところへというよりは、むしろロドニナとザイツェフのいるグループへ行っていました。ナジェジダ・ゴルシコワ/エヴゲーニー・シェヴァロフスキーも彼らと一緒に練習していて、みんな私よりも少し年上でした。まったくの別世界、別世代です。今になってやっと、私との仕事を並行してやるのは、スタニスラフ・アレクセーヴィチにとってどれほど大変だったかがわかります。それまで彼は、子どもと仕事をしたことがまったく無かったのですから。 ― かつてあなたは、なぜズークが自分に注意を向けたのかと考えていましたね。彼はあなたの中にいったい何を、他の子には無かった何を見つけたのでしょうか? おそらくジャンプ力でしょう。父親が若い頃に高いジャンプをしていると、その息子はとても高くて軽いジャンプを跳びます。私もそうでした(※ヴォドレゾワの父はバスケットボール選手。母は体操選手―ロシア語版ウィキペディアより)。でも、いちばんのポイントは、ジャンプはさておき、試合となると私がとても「プラス(思考?)」だったことです。病気で2ヶ月入院して、その後1ヶ月滑って、それから大会へ出るということがありました。しかも、モスクワの大会ではなく、ヨーロッパ選手権や世界選手権だったんですよ。 さらに、その時ズークには、ちょうど女子シングルの選手が必要でした。国には女子シングル選手はいなかったのですが、彼はそこに着手しました。彼はそれを面白いと思うようになったのです。コーチとして、その気持ちはわかります。私のところでも、いま大人の女の子が滑っています。彼女は何ひとつきちんとできません。でも、すべての3回転ジャンプを回ります。私たちの学校には、なんとなくその年齢の選手が全くいないという状況が出来上がっていたのですが、そこで何かがうまく行くか行かないかを試すために、この生徒を引き受けました。この仕事で私自身が何かを学んでいます。どうすれば彼女の結果が早く出るかを考え始めています。でも、この年齢で結果を出すのは難しいことです。 ― ご自分の健康問題について、(※選手時代に)耐えざるをえなかった負荷が原因だと考えたことはありますか? いいえ。私と一緒にトレーニングしていた人たちの負荷が、私より少なかったわけではありません。私より多かった人もいるかもしれません。ですから、負荷と病気とはまったく関係ありません。それに病院には、まったくスポーツをしたことのない人もたくさんいました。 ― 今、あなたは大人としての考えを述べています。でも、当時はどうだったのですか?あの人は健康なのに、自分はそうじゃない。この世の中を恨みに思いませんでしたか? 私は小さかったので、すべてを軽く受けとめたんです。どんな後遺症があるのかなど考えませんでした。自分の病気は扁桃炎みたいなものだと思っていました。しばらくベッドに寝ていれば、ちゃんと治って、すべて元どおり良くなるって。 痛みはたびたびありました。ティーソーサーを持ち上げることすらできず、その重さを支えられないほどでした。最初は指が痛み始めました。リンクで転んで打っただけだろうと思って、私は笑っていました。それからしばらくして、ザポロジエ(※ウクライナの街)での合宿中に、手首から先の細かい骨すべてが痛み始めました。揉んで抑えようとしましたが、痛みに耐えられず、私は叫び出しました。マッサージ師は、その痛みがもうずっと前から続いているものだと聞くと、マッサージを途中でやめてしまいました。そして私を両手で抱きかかえ、地元の病院へ連れて行きました。そこで血液検査を受け、関節リウマチと診断されたのです。 ここでスポーツが、病気を乗り越える手助けをしてくれたと思っています。私と一緒に入院していた人々の多くは、何と共にどう生きるかを知らずにいました。私の方はというと、痛みがあっても常に何かをすることに慣れていました。スケートをやめた後でも、動くことが不可欠だとわかっていました。医師たちは私に何かの薬を用意し、関節をならすために何かをする必要があると説明しました。その病院で女友だちができて、今でも親交があるのですが、ある日彼女はこんなことを言いました。「もしあなたがいなかったら、私はとっくに降参してるわ」 (つづく) 2009年4月7日 エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ <原文> http://news.sport-express.ru/2009-04-07/294668/ <自習メモ> от бога= with a God-given talent ты'сячу раз 何度も、まったく не столько 〜, сколько… 〜というよりはむしろ… оби'до 不当な仕打ち、侮辱、いまいましさ、悔しさ оби'до на+対格 〜に対する恨み после'дствие 結果/予後後遺症 |
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大丈夫ですか?腸炎とは、しんどかったですね。。。まずはカラダを第一に。しっかり直してまた良い記事を書いてくださいね。早いご回復をお祈りします。 |
ぷる子 2009/07/26 21:03 |
ぷる子さん |
eco 2009/07/26 21:13 |
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