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zoom RSS <自宅は生徒立ち入り禁止(2)>エレーナ・ブイアノワ

<<   作成日時 : 2009/07/26 17:58   >>

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8/8 (2)のup完了しました。


8/6 翻訳がかなり難航しております。
  「エレーネ」の章はもうしばらくお待ちください。
  ヴォドレゾワはきっと、とても賢明な女性なのでしょうね。


ヴォドレゾワが、女子フィギュアスケーターとして
世界で初めて成し遂げたこと(ロシア語版ウィキペディアより)

・SPで3回転ジャンプ(1976)
・3回転を含む連続ジャンプ(3T-2T、2F-3T,1976)
・連続ジャンプの2つ目に3回転(2F-3T,1976)
・LPで3つの3回転(3T、3T、3S,1976)
・世界選手権で3Lo(1978)

すごい人だったんですね!!




家庭と仕事

 ― 個人的な話になって申し訳ないのですが、あなたはいつでもスポーツをやめて、何の不安もなく暮らすことができますよね。生活を切りつめる必要はなく、物質的にも恵まれ、稼がなくてはいけない状況ではありません(※この一文は、かなり意訳です)。敢えて推測させて頂くと、あなたは家族から何度も「仕事をやめろ」と言われているのでは?

 ええ。夫は何度もこの問題について取り上げました。特に、私が生徒たちを率いて試合に出かけるようになったときに。彼は苦しんでいました(?)。男性にとって、妻が成功をおさめたり、妻の名前が常に聞こえるというのは、基本的にとてもつらいことだと思います。私は、私にコーチの仕事をするチャンスを与えてくれたセルゲイをとても尊敬しているんです。これは、誰にでもできることではありません。夫の友人たちの反応を見ても、彼らは夫を理解していません。それに私自身、結婚したら働くことを許してもらえるなんて想像できなかったでしょう(?)。さらに、セルゲイの育った環境のことがあります。彼の母親は、本当に素晴らしい、とてもやりくり上手な女性で、家の中のすべてがどのようにきちんと整っているべきかの模範でした。最初の頃は、自分の息子と私とがどうやって一緒に暮らしているのか、義母にはまったく理解できなかったようです。

 私たちは1984年に結婚しました。冬にサラエボオリンピックがあり、それが終わってから1ヶ月間、スケーターは全員オーストラリアのアイスショーへ行きました。そしてモスクワへ戻ってきて、その2日後に嫁いだんです。そこから、別の人生が始まりました。

 いちばん可笑しかったのは、私がほとんど何もできなかったことです。共同生活の第一日目のこと。私は軽率にも、朝ご飯は何がいいかとセルゲイに聞きました。サンドイッチか何かを作るつもりで言ったのですが、卵焼き(オムレツ)が欲しいと言われてしまって。いったいどうすればいいのか、何から始めたらいいのか全然わからなくて、キッチンに立ちつくしていたのを覚えています。夫からは離婚するぞと脅されましたよ。私たちが出会ったのは、彼が26歳、私が18歳のときです。スポーツ選手にとっての18歳なんて、どれ程のものだというのでしょう?幼稚園みたいなものですよ。そういうわけで、夫はあらゆることを教えてくれるようになりました。私の方は、教えてもらうことが好きになりました。

 ― 25年間一緒に暮らすというのは、今日では珍しいことです。しかも、女性コーチでありながら。

 だからこそ、私は二人の男性にとても感謝しているのです。私にリンクへ行く機会を与えてくれた息子と夫に。夫は、本当にすぐにこう言ったんですよ。「働きたかったら、働けばいい。ただし、そのことで家庭内に問題が起こらないように」と。

 今となっては、どうやって全てをこなしていたのか分からないぐらいです。分刻みのスケジュールでした。両祖父と、祖母も担ぎ出されました。1回目のトレーニングから戻ると、私は昼食の用意をして、息子が学校から帰ってくるのを待ちます。それから祖父が息子を車でトレーニングに連れて行き、私はまたリンクへ戻ります。夜、息子を引き取り、家族全員の夕食を作るために飛んで帰るのです。この入念に設計された鎖の輪が、たとえ1つでも滑り落ちると、あっという間にすべてが崩れてしまいました。

 オリガ・マルコワが私のグループに入りたいと言って来たとき、彼女は当時、国でいちばん強い選手のひとりでした。それで彼女と一緒に試合へ行くようになって、また問題が出てきました。私があちこち飛び回ることについて、夫は絶対反対でした。彼がどうやって我慢していたのかは分かりません。私が家を空けると、必ず何かが起こりました(?)。そんな時に限って子どもが病気になったり。でも、なんとかなりました。それに、スポーツのおかげで、私にはすべてをきちんと調整する力がありました。この点に関しては、妻がアスリートであるというのは、一般男性にとって理想的なバリエーションだと思います。

 ― 賛成しかねます。女性の自立にも、女性が決断を下せるという事実にも、我慢できないという男性はたくさんいます。でも、スポーツはそのことを教えているのですよ。
 
 私は、たぶん、ラッキーだったんです。これまでの結婚生活の中で、嫁いでいる(※ザムジェム)とは文字どおりどういうことなのかを、ずっと肌で感じてきました。ザ・ムジェム(※原義は夫のため、夫に賛成、夫の陰へetc.の意)なのです。家庭内では、セルゲイがすべてを決断します。彼がリーダーです。私は白い、ふわふわの子羊みたいなものです。

 ― 残りのエモーションは、すべてリンクにあるということですか?

 ええ。私はリンクでは恐いんですよ。夫がたった一度だけ、突然リンクへ立ち寄ったことがあるんですが、ちょうどその時、私は誰かを叱っていました。要するに怒っていたんです。その光景にとてもショックを受けた彼は、もう二度とリンクには来ないと言いました。それから長いこと落ち着きませんでした。「仕事っていったい何?出勤して、怒鳴りちらして、帰るだけなんて」(?)でも、私はとても家庭的な人間なんです。

 私は、仕事のために家庭や家族を犠牲にしたことは一度もありません。このことが大きな役割を演じていると思います。仕事を持たない女性がふつう丸一日かけてやることを、私は1時間半で片づけます。時間はどこにでも見つかるからです(?)。たしかに、息子がまだ小さい頃は、次はどうすれば美容院やマッサージやお風呂へ行く時間を取れるのか、まったく思い浮かびませんでした。どこかへ招待された時は、トレーニングから直行しました。20分でお化粧と身仕度を整えてね。

 ― もし、家庭と仕事とどちらかを選べと言われていたら?

 家族を選んでいたと思います。私がどう思っているのか、夫はいつでも分かっていました。


エレーネ


 ― 今あなたにとってコーチの仕事とは、どんな意味を持っているのですか?

 セルゲイが笑って言うとおり、これは趣味です。もちろん私は生徒たちのことが大好きですよ。スケートが上手だからではなく、純粋に人として好きです。私が生徒全員の歩調(行動)を知っていたり、予測できるのを見て、みんな恐がっているみたいですね。だって、彼らは家族と過ごすよりも、私と一緒にいる時間の方がはるかに長いんですから。それに、私は1人の選手だけを教えたことはありません。いつもたくさんいるんです。

 ― ご自宅に生徒が来ることはありますか?

 いいえ。それはタブーです。一歩家に入ったら仕事のことは忘れます。仕事の話をすることもありません。夫も、私がどこへ行くのか、なぜ行くのか、何がリンクで行われるているのかに興味を持ったことはありません。私の生徒たちのことも、もっぱらテレビで見て知るようです。あれは2006年のこと、私はエレーネ・ゲデヴァニシヴィリと一緒にヨーロッパ選手権へ行くことができませんでした。代わりにタチヤナ・タラソワが彼女をリンクへ送り出してくれたのですが、その試合をセルゲイと一緒に(※テレビで)見ることになりました。そこでレーナ(※エレーネの愛称)が私の生徒だと聞いて、彼はとても驚いていました。

 ― にもかかわらず、レーナの母親がロシアから国外追放されることになったとき、問題解決に助力したのは、他ならぬあなたの夫だったのですよね。彼が力を貸してくれたことに驚きませんでしたか?

 いいえ。家族は愛し合うこともそうですが、お互いを尊敬するべきです。私にとっては、少なくともこれが最も大切なことです。もし困ったことが起きても、私は決して他人に助けを求めようとはしませんでした。いつも夫に相談していました。

 ― 現在は別のコーチがゲデヴァニシヴィリをリンクに送り出しています。それを見て心が痛みませんか?

 今はもうそんなことはありません。でも、彼女が私の元を去っていったときは、仕事をやめたいとさえ思いました。トリノオリンピックの後、レーナがグルジアのあらゆる祝賀会に招かれるようになって、私にはどうすることもできない何かが起こっていると分かりました。つらくて、苦しくて、悔しかった。今では彼女とも、彼女の母親とも良い関係ですが、私の中で何かが死んでしまったら、それは永久に死んだということです。

 ― もう一度あなたをリンクへ戻らせたものは何ですか?

 それがとても奇妙なことに、夫なんですよ。私が仕事やめれば夫は喜ぶだろうと思っていたのに、彼はこんなことを言いだしたんです。「他の子たちには何の罪もないよ」って。あと、CSKAで一緒に仕事をしているコーチや選手たちが、私にショートメッセージを送ってくるようになったことも大きかったです。電話をかけてくる人は誰もいませんでした。恐がっていたのでしょう。でも、電話機に押し寄せてきたメッセージには、涙が出るほど心をゆすぶられました。コーチたちは何も言わずに私の生徒たちを引き受け、試合への準備を続け、ただ私が決断するのを待ってくれました。もしもこのサポートがなかったら、私は戻っていなかったでしょう。


 (つづく)




<自習メモ>
жить в свое удовольствие 何の心配もなく[安楽に]暮らす
не раз 一度ならず、何度も(=неоднокра'тно)

образе'ц 見本/手本、模範

не иметь ни малейшего понятия 全然分からない
опять же その上、さらにまた
в этом отношении この点では
как …, так и〜 …も〜も

переноси'ть (不完のみ)嫌いだ、がまんならない、耐えられない

в полном смысле сло'ва 本当の意味で、文字どおり、正真正銘
что называется いわゆる、言ってみれば
по жизни 一生、終身

как только 〜するや否や
как ни どんなに〜しても、〜だが
・Как ни странно, но это правда.
 どんなにおかしかろうと、これは真実だ。

оби'дно いまいましい、悔しい、腹立たしい
до слёз 涙が出るほど

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