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zoom RSS チェボタリョワ<コリャダは五輪金メダルがほしい(上)>

<<   作成日時 : 2016/02/11 02:08   >>

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コリャダ選手のコーチ、チェボタリョワさんのインタビューを3回に分けてご紹介したいと思います。地道でひたむきな人生に惹かれます。



2016年2月9日
エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ


ワレンチナ・チェボタリョワ

コリャダは五輪の金メダルが欲しい。私と同じように。


 ブラチスラヴァの欧州選手権でフリー3位、総合5位となったミハイル・コリャダのデビューは、今シーズンもっとも輝かしい出来事となった。「スポーツ・エクスプレス」の解説者が、この20歳のスケーターのコーチに話を聞いた。


  ミハイル・コリャダ
  1995年2月18日、サンクトペテルブルク生まれ
  2013年ロシアジュニア選手権チャンピオン
  2015/16グランプリ・ロシア大会3位、ロシア選手権銀メダル、欧州選手権5位
  コーチ:ワレンチナ・チェボタリョワ
  振付師:オリガ・クリュシニチェンコ



 20歳のスケーターのコーチ、ワレンチナ・チェボタリョワをブラチスラヴァで探し出すのは難しくなかった。彼女は自分の教え子がトレーニングを終えた後も、自分の空き時間をずっとリンクで過ごしていたのだから。しかしそれは、多分、次のように説明できるだろう。チェボタリョワにとって欧州選手権は、彼女の生徒にとってもそうであるように、人生で初めてのことだったのだ。


カザコワを良い「手」に託した


 ショートプログラムの前はとても緊張していて、自分のことも、自分の行動も覚えていないぐらいです。ばかばかしい疑問が絶え間なく頭へ這い登ってきました。私はどこへ立ち上がればいいのか、自分をどう操縦すればいいのかとね。そしてフリーの前に、「解き放たれた」のです。確信と開放感が現れました。ミーシャ(※ミハイルの愛称)にも同じことが起こったように思えました。彼はショートプログラムを滑りはじめましたが、いつもどおりではなく、がちがちでした。ただ最後まで滑りまわっただけ。一方フリーは、フロラン・アモディオが素晴らしい滑りをした直後にリンクへ出たわけですが、拍手にも、会場全体の興奮にも動揺することはありませんでした。

 ― あなたの生徒はショートプログラムの後、3つのジャンプエレメンツのうち2つができなかったことは今まで一度もなかったと話していました。彼がその失敗をしでかしたときどう感じましたか。やりきれない気持ちでしたか、それとも受け入れましたか。

 最初はもちろんやりきれなかったですとも。受け入れる気持ちになったのはその後です。要するに私なのです。私がコーチとして選手の「調子が出る」ように、前もって何か措置を取らなければならなかったのです。でも、できませんでした。

 ― これまでコーチとして何年間働いているのですか。

 18歳のときからです。まだ学生だったころ「クラスヌィ・ヴイヴォルジェッツ競技場」で子どもたちを教えはじめました。私自身は当時、ボリス・アレクサンドロヴィチ・シュテイニコフの指導のもと、コルピノ(※サンクト=ペテルブルク郊外の都市)で滑っていました。でも、彼に師事したのは11歳のときで、遅すぎました。私はフィギュアスケートが大好きでしたが、住んでいたのはスケートリンクもスポーツクラブもない田舎。テレビの前で息をのんでフィギュアスケーターを見つめる私を見て、母は耐えきれなくなったのでしょう。スケート靴を買い与え、コルピノへ連れて行ってくれました。

 私はそのとき5歳の子どもたちのグループに入れられたのですが、まったく気にならなかったのを覚えています。私のような子は基本的にクラブに受け入れてもらえないのですが、母がコーチを説得してくれたのです。後になって打ち明けてくれましたが、きっと長くは続かないだろうと思っていたそうです。

 − それで、どうなりましたか。

 無心に練習しましたよ、スポーツ等級基準を1年に2〜3ずつ達成しながらね。それに、コルピノには天然リンクしかありませんでした。人口リンクを初めて見たのは14歳ぐらいのとき、ピーテル(※ペテルブルク)でのこと。そのときすでにはっきりと分かっていることが2つありました。自分はフィギュアスケートの最高峰には到達しないこと、そして決してこの競技から離れないこと。

 体育大学では先生にとても恵まれました。ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ・アパリンです。彼のおかげで私はコーチになれたのだと思います。どんな状況でも出口は必ずあることを最初に説き明かしてくれたのが彼でした。大切なのはそれを見つけられることと、恐れずトライすることだと。

 コーチの仕事をはじめて2年目の19歳のとき、私のグループにひとりの女の子がやって来ました。オクサナ・カザコワでした。今でもその第一印象を覚えています。とても小さな彼女を見て、背筋に冷たいものが走りましたよ。オクサナは信じられないほど才能にあふれていました。

 ― にもかかわらず数年後、彼女を別のコーチに託したのですか。

 他の選択肢が見当たらなかったのです。結婚して、1人目の子が生まれて、つづいて2人目が生まれ、6年のブランクができただけ。でも、私はオクサナをとても良い「手」に託しました。タチヤナ・コシツィナという手に。


 (つづく)




<原文>
http://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/965058/

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
Привет! Ecoさん、この頃の翻訳活動とその内容、敬服します!しかも、絶対日本語でも英語でも探し出せないような貴重なインタビューの内容を・・・為になります!
ワレンチナ・チェボタリョワコーチ、地道な人生とは言え、素晴らしい生徒との出会いと別れを経験しつつ、自己評価が冷静に出来る人ですね。コーチとして重大な決断をする時の気持ち、痛い程よくわかります。彼女は世界レベルの選手でも、コーチでもなかったけど、そういう人が突出してくると、どんどんロシアのスケート界が活性化されていくと思います。素晴らしい!
Микичка
2016/02/15 12:20
Микиさん
おお、もったいないお言葉ありがとうございます。まさにコーチをされている方にそんなふうに言っていただけるとすごく励みになります!
私自身がどちらかというと、選手よりもコーチや振付師のインタビューに興味があるんです。当然ながら年齢や経験を重ねてこられた分、言葉に重みや深みや味があって読みごたえがありますよね。
Микиさんにの「デビュー」を首を長くして待っています!^^
eco
2016/02/17 00:17

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